両親の住宅を設計しました。
本設計は建築家と施主の二者関係からなる住宅設計プロセスに、他者の声を介入させるひとつの試みです。
背景も職業もまったく異なる10人の目撃者を招き、自身の描いたドローイングを〝語りなおし〟してもらうことで、他者なる声を収集していきます。そして建築家としての自身の意識と自ら導き出した他者の声との間に、『fiction』という架空世界を部分的に設定することであり得た着地点を見出し、設計を進めていくという方法です。
本設計は建築家と施主の二者関係からなる住宅設計プロセスに、他者の声を介入させるひとつの試みです。
背景も職業もまったく異なる10人の目撃者を招き、自身の描いたドローイングを〝語りなおし〟してもらうことで、他者なる声を収集していきます。そして建築家としての自身の意識と自ら導き出した他者の声との間に、『fiction』という架空世界を部分的に設定することであり得た着地点を見出し、設計を進めていくという方法です。
10人の目撃者からの語りなおしによって、建築家(私)と施主(両親)だけの言語であった断片的なドローイングは目撃者の記憶やキャラクターと接続していきます。誰かの記憶の中にある出来事や旅先の風景など、この住宅にとってはまったく脈絡もないものと接続していく訳ですが、そこには人間として共有することのできる美しさやエゴのようなものを感じることができます。そうした声の中から何かを感じ取り、誰しもが想定し得なかったところへたどり着くかもしれません。
現代を他者性・関係性を重視する時代と捉えるならば、建築家の役割も変化しています。かつては個人の強い作家性とそれに基づく作品の自律性が求められました。しかし今日、ユーザーや不特定多数の他者の声が建築家を渦巻いています。説明可能性が求められる時代における他者の声に、恐怖と希望の混在した期待感を感じています。
この住宅における一見すると見慣れないエレメントやそのカタチは、施主に馴染みあるモチーフから始まり、他者をまじえた有象無象の対話の中から導かれたあり得たひとつカタチであり、集合知に基づく建築とも言えるでしょう。しかし、静かなる統治者によるあらゆる可能性の取捨選択と発想のドライブの繰り返しによって生まれています。建築家によってつくられたもの(fiction)に他なりません。